信州上田フィルムコミッションタイトル

信州上田フィルムコミッションの最新情報

2017-10

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門丸トオルの「ロケ地紀行・上田編」 5

 雨が少ない(最近は異常気象のため必ずしもとは言えなくなってきているが…)ことで有名な上田は、雪国信州にありながら雪も少ない。ところが、冬になると、「雪のシーンを探しています!」という問い合わせが多いという。一般論からいえば、信州イコール雪というイメージは当然あるのだろう。最近の異常気象の影響で、全国的に雪不足の中、益々信州に雪を求めるケースが増えてくるようだ。

スパイ・ゾルゲ

 上田で雪のシーンを撮影しようとするとダンプカーで雪を運んで来ることになるという。過去に、菅平高原からダンプカー十数台分を運んで行なったロケがあった。あの「スパイ・ゾルゲ」である。撮ったシーンは、2・26事件の六本木と麻布の旧陸軍兵舎、さらに、朝日新聞社や国会議事堂への青年将校に伴われた若き兵士たちの襲撃の場面だった。なぜ?上田で東京のシーンを撮影したのか?そこには、映像製作者たちに人気がある現役の木造小学校・浦里小学校の存在がある。大正時代に建てられた校舎が今も立派に機能している。ここでは、神山征二郎監督や大林宣彦監督らがメガホンをとったことでも知られ、NHKや民放の歴史番組の再現シーンなどにも使われている。一部には「こんな学校は統廃合して、壊してしまえ!」などという心無い人もいるというが、地元の人たちの努力で、今でも、またこれからも、現役で頑張っていくことに心配はなさそうだ。

ゼロの焦点

 ロケ地というものは普段、日常の生活の中で使われていてこそ価値があり、有意義なものであるはずだ。ロケ地だからといって、巨大な案内看板を作ったり、博物館のようにして残していてもあまり上品な活用方法ではないだろう。さも、大切なものであるかのように慇懃無礼に振舞うものをみることもあるが、いかがなものか?全国には、ただ倉庫のごとくに資料を置き、映画好きが訪れると余計な説明を声高に繰り返し、自慢にもならない"自慢"をのたまう輩がいることも確かだ。こんな輩が他の地へ行くと更に輪をかけて自分のところの自慢を始める。しかも「キミは、うちの町の○○映画監督を知っとるかね。ええッ!知らないだと!そんなことではだめだッ」とのたまう。「知っていますよ。この監督わりと好きなんですね」などと言ったものなら「わりととは何だね。じゃあ代表作を3本いってみなさい」と始める。この監督の代表作は五作品以上好きなものがあるので迷っていると。「なんだ知らないのか」などといい始める。実に始末におえない迷惑な輩である。立派なロケ地を持っている地こそ、こうした馬鹿げた問答は謹んで欲しい。幸いなことに上田ではこうした輩に会ったことがない。

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門丸トオルの「ロケ地紀行・上田編」 4

 上田に有名な廃校がある。ここは、かの名監督・小津安二郎が、トーキー第一作「一人息子」をロケしたことで多くの映画ファンに知られている。小津は、サイレントで数々の名作を世に送り出していたが、いかに小津らしいトーキーを手がけるか悩み、後に「小津アングル」として多くのキャメラマンたちが腰を痛めた独特のスタイルを確立した。「一人息子」には、小津映画の見所が随所に散見でき、ここから数々の名作に展開されていった雛形が見て取れる。

旧西塩田小学校

 「一人息子」の冒頭に登場するのが、旧西塩田小学校の南校舎とその後ろに聳える信仰の山・独鈷山である。現在の校庭よりやや外側にカメラを設置したであろうシーンが、今でもその場所から変らぬ姿を見せている。それは、懐かしく、深い情感に溢れた小津映画そのもののようだ。上田を訪れる映画監督の中には、稲穂が揺れる塩田平の田園とこの学校の風景に惹かれて、自らここをロケ地に加える人もいるという。日本の映像遺産の一つなのだろう。

 旧西塩田小学校は、学校としての永い使命を終えて廃校になってからも、最近は「卓球温泉」「学校の怪談4」「ZERO」「DEEN主演・君のままで」などの映画や「ヒロシマ1945」や各種ミステリードラマ、「裸の大将」の新作など、多くの作品の舞台になって全国に感動を与えるシーンを刻んできた。

旧西塩田小学校 廊下

 この廃校が今、ロケ地として使えなくなっているという。とても残念なことである。日本映画の中に確実な足跡を残してきたこんなすばらしいロケ地がなくなってしまうことをこのまちの人たちは、どのように感じているのだろう。名作のロケ地でも、時流に流されてゆくのだろうか?

門丸トオルの「ロケ地紀行・上田編」 3

 上田の人たちは、昔から映画ロケが好きだったようだ。世に祭り好きな人は数々あれど、映画ロケ好きという人種はそうはいないだろう。仮に、映画ロケが好きでも映画ロケが行なわれないような場所に住んでいるのでは、好きも嫌いもないかもしれないのだが。

 上田人が、映画ロケ好きになった発端は、映画「絹代物語」(松竹蒲田・1930年公開)のロケが上田で行なわれた時にあるようだ。当然のこととして、主演の田中絹代が上田にやってきた。田舎っぺは、当時の若き大スター・田中絹代を一目見ようと大挙押し寄せたという。

姿三四郎

 ここに、後に上田ロケの立役者になる若き馬場直次郎がいた。直次郎も最初は、田中絹代に会いたくてロケ現場を訪れたようだが、持ち前の好奇心と人の良さでスタッフと意気投合。五所平之助監督とも親しくなり、ついに「役者より、スタッフと話していたほうがおもしろいぞ」と周囲にもらすまでのロケ好きになり、五所監督との家族ぐるみの付き合いがはじまった。この日を境に上田ロケは急増する。五所監督が「不如帰」や「恋の花咲く 伊豆の踊り子」など当時の人気作品を続々上田でロケし、島津保次郎監督も上田でメガホンをとっている。そして、ついに日本映画史に残る小津安二郎監督トーキー第一作「一人息子」のロケが上田で実施された。さらに、黒澤明監督が上田で自らの処女作「姿三四郎」を撮った。上田はまさに、日本映画史から抹消することができないまちになってしまった。

 こうした伝統は今でも、上田人の中に脈々と流れている。まちで映画ロケをしていると「何を撮っているんだい。映画かい、テレビかい」と聞いてくる人が普通に歩いている。ロケを見た一般人は「何をしているんですか」と聞くのが当り前なのに、上田人は少し違っている。こんな人たちが、これまで何十年も上田の映画ロケを支えてきた。

 かなり酷い目にもあっている。「ロケなんか二度と協力するものか」とぼやいた人も多かったようだ。しかし、ロケは今でも続き、最近益々増えている。行政がいくら頑張っても、それだけではロケなんか来るわけがないだろう。ロケは民間が、本当に楽しみながら、スタッフたちと苦しさを分け合って達成させるものだ。表向きいい顔をして、ロケに貸した施設が傷つけられるのではないかと戦々恐々とし、「できれば文化財のロケはやめて欲しい」などと考えている輩には、ロケによる心の充足とわがまちを真底自身を持って紹介しようとする上田人の心意気はわからない。

門丸トオルの「ロケ地紀行・上田編」 2

 ド素人が映画のロケを受け入れて、支援活動をするということは並大抵の苦労ではない。それなのに今、日本中がロケ支援活動に盛り上がっているかに見える。あくまでも見えるだけかもしれないが、とにかくかつてなかった現象が日本中で起こっていることだけはたしかなようだ。

北向観音参道

 ロケ支援組織「フィルムコミッション」の設立状況を見ても北は北海道から南は沖縄まで83(全国フィルムコミッション連絡協議会加盟・10月末現在)のフィルムコミッションがある。中には映像製作経験者がスタッフをしているフィルムコミッションもあるが、大抵は業界人ではない人たちが映像製作の支援活動をしている。特殊中の特殊な映像業界に素人が参入しようというのだからいい根性をしていること甚だしい。

 ところが、どうも最近は、素人の参入が当り前に思われはじめている。中には「某フィルムコミッションは台本の読み方を知らなくて困る」「支援するならもっとちゃんとして欲しい」などと話すスタッフもいる。何を言う!素人が頑張ってやっているのだからもっとあたたかい目で見て欲しい。「そんな程度なら、支援してもらわなくて結構だ!」と啖呵を切る担当者も出てくるだろう。今でも絶対何人かいるはずだ。だったら自分だけでやりなさい。

スパイ・ゾルゲ

 それでは、フィルムコミッションはロケの足手纏いになるのか?そんなことはないはずだ。フィルムコミッションのスペシャリスト性とは、そのフィルムコミッションが管轄しているエリアの撮影可能な場所、製作者が必要としているロケーションの情報を的確に持っていることだ。これが最低条件であって、台本に対してああでもないこうでもないと講釈をたれる評論家は必要ない。フィルムコミッションは、自分のまちでロケするものはどんな作品でも「この作品はいい作品だ!」と自己暗示をかけて無欲で製作支援する人の集団であるはずだ。

 上田は、こうした意味で、市民の多くが無欲でロケの手伝いをしているようだ。ロケをしたからといって声高にそのことをPRしようともしない。淡々と当り前にロケを受け入れている人たちが80年程前からいた。上田とは、映像ロケに対して、市民が嫌がらず、フィルムコミッションが頑張り過ぎないまちなのかもしれない。まちを歩くとあちこちに日本映画(最近は韓国映画も)のロケ地が点在していて、懐かしいワンシーンを彷彿とさせるが、あくまでも控えめにごくありふれた日常として存在している。ここでは、映画ファンが自分だけの映画の世界に浸ることができる。そして、製作者たちは、ギャラリーに騒がれずに淡々と製作に打ち込むことができる。

門丸トオルの「ロケ地紀行・上田編」 1

 長野県の東部に、明治から昭和初期に全盛を極め、今は単なる日本の片田舎に落ちこぼれてしまった「上田」というまちがある。田舎にはつきものの郊外型ショッピンッグセンターが乱立し、趣のある旧市街地が空洞化している。歴史はあるが、特にこれといって観光客を喜ばせるような特出したものがあるわけでもない。

塩尻の通り

 私がこのまちに興味を持ったのは、何の取り柄もない日本の片田舎であるはずの上田が、他のまちにはない妙な雰囲気を醸し出しているからだ。最初はまったく判らなかったが、それは歴史や自然という、日本の片田舎がかろうじて自画自賛しているような矮小なものではなかった。観光地と称するもったいぶった場所には、かろうじてツアー客がアルコール混じりの寝ぼけ顔で歩いている。何を観に来たのか判らず、ただコースが決まっているから歩くという日本的な暇つぶし現象が今の観光というものなのだろうか。城の門を見上げ、古塔を見上げ、銀杏の巨木を見上げ。何でも見上げて、「ほっほー」と訳知り顔をする。数秒後には、何を観たのかも忘れて、次の目的地に案内されていく。そして、ケバケバしいパッケージの土産を買ってバスに乗り込む。上田にも、こうした観光客が大挙押し寄せる。しかし、このまちが醸し出している雰囲気はこうしたありきたりの観光田舎まちの風貌からは見えてこないもののような気がする。本通りから小路に入るとそこには、頼りなげでありながら、どこか図太く、シャイなふりをして、妙に饒舌な絶滅寸前の江戸っ子気質に似た気風が底流に流れている。

大日堂

 上田は今、「映画のまち」と呼ばれている。小津安二郎や黒澤明、成瀬巳喜男、野村芳太郎、五所平之助など、数え上げればきりが無い日本の名監督がこのまちでロケをし、日本映画史を彩る数々の映画の舞台になってきた。だからといって、このまちは、それを特に誇ろうともしない。ロケ地に派手な看板を造ろうともしない。このまちは、派手な看板を造るとこれから他のロケがやりにくくなることをよく知っている。さらに、ロケが日常生活に溶け込んでいるため、大勢の撮影スタッフや俳優がいても特に気にしない。

 気になっていたことがようやく判ってきたような気がする。このまちは、いたるところが映画の名場面に登場しているので、記憶のどこかにはっきりと刻まれている風景があるということだ。このまちの人々はこうした風景を何気なく守ってきたのだろう。黒澤明デビュー作「姿三四郎」のロケ地・本陽寺の前で「黒澤明が映画を撮ったお寺はここですか」と通りかかった老婦人に尋ねると「そうですよ」とごく自然に、当り前のことのように返事をして去っていった。

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