門丸トオルの「ロケ地紀行・上田編」 1
長野県の東部に、明治から昭和初期に全盛を極め、今は単なる日本の片田舎に落ちこぼれてしまった「上田」というまちがある。田舎にはつきものの郊外型ショッピンッグセンターが乱立し、趣のある旧市街地が空洞化している。歴史はあるが、特にこれといって観光客を喜ばせるような特出したものがあるわけでもない。

私がこのまちに興味を持ったのは、何の取り柄もない日本の片田舎であるはずの上田が、他のまちにはない妙な雰囲気を醸し出しているからだ。最初はまったく判らなかったが、それは歴史や自然という、日本の片田舎がかろうじて自画自賛しているような矮小なものではなかった。観光地と称するもったいぶった場所には、かろうじてツアー客がアルコール混じりの寝ぼけ顔で歩いている。何を観に来たのか判らず、ただコースが決まっているから歩くという日本的な暇つぶし現象が今の観光というものなのだろうか。城の門を見上げ、古塔を見上げ、銀杏の巨木を見上げ。何でも見上げて、「ほっほー」と訳知り顔をする。数秒後には、何を観たのかも忘れて、次の目的地に案内されていく。そして、ケバケバしいパッケージの土産を買ってバスに乗り込む。上田にも、こうした観光客が大挙押し寄せる。しかし、このまちが醸し出している雰囲気はこうしたありきたりの観光田舎まちの風貌からは見えてこないもののような気がする。本通りから小路に入るとそこには、頼りなげでありながら、どこか図太く、シャイなふりをして、妙に饒舌な絶滅寸前の江戸っ子気質に似た気風が底流に流れている。

上田は今、「映画のまち」と呼ばれている。小津安二郎や黒澤明、成瀬巳喜男、野村芳太郎、五所平之助など、数え上げればきりが無い日本の名監督がこのまちでロケをし、日本映画史を彩る数々の映画の舞台になってきた。だからといって、このまちは、それを特に誇ろうともしない。ロケ地に派手な看板を造ろうともしない。このまちは、派手な看板を造るとこれから他のロケがやりにくくなることをよく知っている。さらに、ロケが日常生活に溶け込んでいるため、大勢の撮影スタッフや俳優がいても特に気にしない。
気になっていたことがようやく判ってきたような気がする。このまちは、いたるところが映画の名場面に登場しているので、記憶のどこかにはっきりと刻まれている風景があるということだ。このまちの人々はこうした風景を何気なく守ってきたのだろう。黒澤明デビュー作「姿三四郎」のロケ地・本陽寺の前で「黒澤明が映画を撮ったお寺はここですか」と通りかかった老婦人に尋ねると「そうですよ」とごく自然に、当り前のことのように返事をして去っていった。

私がこのまちに興味を持ったのは、何の取り柄もない日本の片田舎であるはずの上田が、他のまちにはない妙な雰囲気を醸し出しているからだ。最初はまったく判らなかったが、それは歴史や自然という、日本の片田舎がかろうじて自画自賛しているような矮小なものではなかった。観光地と称するもったいぶった場所には、かろうじてツアー客がアルコール混じりの寝ぼけ顔で歩いている。何を観に来たのか判らず、ただコースが決まっているから歩くという日本的な暇つぶし現象が今の観光というものなのだろうか。城の門を見上げ、古塔を見上げ、銀杏の巨木を見上げ。何でも見上げて、「ほっほー」と訳知り顔をする。数秒後には、何を観たのかも忘れて、次の目的地に案内されていく。そして、ケバケバしいパッケージの土産を買ってバスに乗り込む。上田にも、こうした観光客が大挙押し寄せる。しかし、このまちが醸し出している雰囲気はこうしたありきたりの観光田舎まちの風貌からは見えてこないもののような気がする。本通りから小路に入るとそこには、頼りなげでありながら、どこか図太く、シャイなふりをして、妙に饒舌な絶滅寸前の江戸っ子気質に似た気風が底流に流れている。

上田は今、「映画のまち」と呼ばれている。小津安二郎や黒澤明、成瀬巳喜男、野村芳太郎、五所平之助など、数え上げればきりが無い日本の名監督がこのまちでロケをし、日本映画史を彩る数々の映画の舞台になってきた。だからといって、このまちは、それを特に誇ろうともしない。ロケ地に派手な看板を造ろうともしない。このまちは、派手な看板を造るとこれから他のロケがやりにくくなることをよく知っている。さらに、ロケが日常生活に溶け込んでいるため、大勢の撮影スタッフや俳優がいても特に気にしない。
気になっていたことがようやく判ってきたような気がする。このまちは、いたるところが映画の名場面に登場しているので、記憶のどこかにはっきりと刻まれている風景があるということだ。このまちの人々はこうした風景を何気なく守ってきたのだろう。黒澤明デビュー作「姿三四郎」のロケ地・本陽寺の前で「黒澤明が映画を撮ったお寺はここですか」と通りかかった老婦人に尋ねると「そうですよ」とごく自然に、当り前のことのように返事をして去っていった。